中国との出会い
中国語との出会いは大学1年生の4月、第2外国語としてでした。西安出身の先生の授業はそれまでに私が小中高のどの教室でも体験したことのない生き生きしたもので、教科書から離れて中国について紹介してくれることも多く、日本にいながらにして中国気分を味わえる時間でした。
初めての中国は大学3年生の夏休み。北京で約1ヶ月の短期研修に参加しました。第2外国語の授業は2年生までで終わってしまい、物足りなさを感じていた私は、専攻の勉強もそこそこに北京へと向かったのです。初の中国では、抱いていた期待や予想を裏切られることも多く、また日本では有り得ないようなことが普通に起こったり、カルチャーショックの連続でしたが、そこで落ち込むような私ではなく、それどころか却ってますます中国大好き!おもしろすぎる!という結果になったのです。
北京パパとママの愛情
帰国後すっかり中国フリークと化した私は、もっと早くに中国と出会っていれば大学も中国に関係する学科に進んだのになあーと今更どうにもならないことを悔やみつつ、何とか専攻の勉強も続け、無事大学を卒業したかと思うと今度は中国でホームステイをしてみたい!と思い立ち、思い立ったが吉日、その3日後にはもう申し込みを済ませ、再び北京へと旅立ったのです。
ほんの数年ぶりなのに、北京の街は驚くほどの変貌を遂げていました。オリンピック招致にも成功し、街全体が活気に満ち溢れている感じです。ステイ先はお父さん、お母さん、私と同じ年の娘さんの3人家族。最初の日、お父さんお母さんを「おじさん、おばさん」と呼んだら、お父さんが「パパママって呼べ、私たちはおまえの北京でのパパとママなんだよ」と言ってくれました。
そんなわたしの北京パパは、普段は口数が少ないのですが、夜仕事から帰ってくると玄関を入るなり一番に私の名前を呼んでくれたり、私の帰国が近づくにつれ毎日のように「帰らなくていい、うちの子になれ」と言ってくれる優しい人でした。北京ママは近所でも評判の料理上手で、おかげで私は帰国したとき、誰からも私だと識別してもらえないほどみにくく太ってしまったのでした。
中国の虜となり、中国でのインターンシップを希望
こうして4ヶ月間の中国での生活を、すてきな出会いとおいしい中華料理に彩られ、ますます中国という国家、文化、そして何よりそこに暮らす人々の虜となった私はついに、永住したい!なんなら中国人になりたい!とまで思いつめてしまい、それなら仕事だ!という結論に至ったわけです。
旅好きな私は以前から観光業に興味があり、ホテルを志望しました。実際に現地に渡ってホテル内で面接を受けましたが、お忙しい中長く時間を割いてくださった2人のマネージャーさんはこれぞ5ッ星ホテル、という品格に満ちていて、今後の私の目標となりました。面接では非常に細かい内容の質問がいくつもあり、期待されていることを実感しました。
実際に採用されることになり夢のようですが、こんな私を選んでくださったホテルの皆さんの期待に応えられるよう、気を引き締めて臨みたいと思っています。
祖父のDNAに守られて、再び中国の地に
私が中国で仕事にチャレンジすることを、北京パパママもとても喜んでくれています。そして今の私の姿を見て、きっと誰より喜んでくれているのは天国の祖父だと思います。
祖父は若い頃中国に渡り、「あの中国人、日本語がうまいね」なんて言われるほど全身すっかり中国人と化していたそうです。同じくその頃中国の青島にいた祖母と出会い、大恋愛の末結ばれたそうですが、祖父は私が中国と出会うはるか以前、私がまだ7歳の時に他界してしまいました。
私の大好きな中国という国は、私の祖父母にとっても大切な思い出の地なのです。祖母は私にいつもこう言うのです、「あなたがそうやって中国という国に強く強く引き寄せられて離れられないのは、おじいちゃんのDNAがそうさせてるんだよ、きっと。だから大丈夫、あなたならできるから頑張りなさい」おじいちゃんのDNAに守られて、来月私は再び中国の地を踏みます。